認知症は誰でもなるものだということか?

NHKの番組で衝撃的だったものがある。認知症の第一人者の先生が認知症になられたのだ。

聖マリアンナ病院の先生だ。2年ほどにわたり取材を続けられたようである。

まさしく「ディサービス」を提案された方のようだ。家族の負担を減らし。本人も少しでも楽しというコンセンサスだ。

しかしながら本人は一度きり行ったのだが楽しくないと言ってもう行かないのだ、家族が楽になるというのに。何だか見ながら思わず笑ってしまった。現実と計画のギャップだろうか。まさしく本人なのに。

ということはそれなりの人それこそ予防も対応も熟知した人でさえ、の結果なのだ。もうこうなったら予防もへったくれもないということか。

この先生は先輩に言われた言葉があるそうだ「君が認知症になってこれは完成する」ということらしい。

最後の方は奥様に毎日有難うということが日課になってきたことを伝えていた。これも神が人間に下した一つの試練ということらしい。

ディに行くより自分の戦場、レポートをたくさん書いた書斎が一番いいというのだ。

娘さんに奥様の名前を言っていた。立派な父親の尊厳が崩れていくという話だったが、複雑である。ほんとに嫌な事なんか忘れたいというものですよね。だから 寝るのでしょう!!

自分も機能の試験んで失敗をした、自分を写すカメラが邪魔で問題の一部が読めなくて少しパニックってしまった。パソコンの操作の問題でもある。タイムロスが響いたということもあり、正解をかく前にタイムアップした。釈だな~~、自分の力不足だ。

大阪維新の会の気持ちが分かるような感じだ。遡れば京都のほうが、もっと悔しいだろう。チャット出かけるといったはずが、江戸の地が中心になってしまったのだから。

その前の試験はほぼ完ぺきなだけに悔しくてたまらない。

負けず嫌いだと自覚した。私が認知症になってもきっと相手を認知症だというのだろうな~~。

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